音楽エッセイ|チェコ国民音楽の父、ベドルジハ・スメタナ

ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana、1824年3月2日 – 1884年5月12日、チェコ)

毎年5月になると、チェコ共和国の首都プラハでは「プラハの春・国際音楽祭」と呼ばれる音楽祭が開催されプラハの街は音楽祭一色になるそうです。

この音楽祭は毎年必ず5月12日に開催コンサートが開かれ、その時に演奏される曲目は、有名な「モルダウ」を含むスメタナの6曲からなる連作交響詩「わが祖国」と決まっています。

何故なら、この日がスメタナの命日にあたるからです。

このことからも、スメタナがチェコ及びスロヴァキアの人々にとっていかに重要な作曲家で、皆から愛され、尊敬されているかがわかります。

確かに、現在のチェコのボヘミア北部で生まれたスメタナの一生は、チェコとスロヴァキアの国民主義音楽の確立のために捧げられたと言っても良く、彼の後に、ドヴォルザーク、ヤナーチェック、スーク等々の優れた作曲家たちをこの国から輩出することにつながったと言えます。

しかし、今でこそ「チェコ音楽の父」あるいは「チェコ国民音楽の始祖」と称されるスメタナですが、私生活では数々の悲劇に見舞われていたことに驚きます。

第一の悲劇は、1849年25歳で初恋の女性と結婚し、4人の女の子にも恵まれましたが、次々に幼い頃に亡くなってしまい、大きくなるまで育ったのは次女一人であったこと。しかも愛妻まで1859年に結核で失ってしまいます。

普通これだけでも一生引きずる悲しみですが、スメタナにはまだ悲劇が続きます。

それは、1862年頃から幻聴の兆候が現れ最初はあまり気にならなかったものの、スメタナ50歳になった1874年になって急激に悪化しこの年の10月には完全に聴覚を失ってしまったことです。

ベートーヴェンの例を出すまでもなく、働き盛りの音楽家にとって聴覚を失うと言うことがどれだけショックであったことか、想像に余りあります。

しかし、スメタナは負けませんでした。家族を失い、聴覚を失ったにもかかわらず、むしろ新たな霊感が湧き起ったかのように、次々と名曲を生み出していったのです。

特に、スメタナの作品の中でも必聴の傑作と言われる、連作交響詩「わが祖国」(モルダウを含む6曲で構成)、と弦楽四重奏曲第一番ホ短調「わが生涯より」が、聴覚喪失後の各々1874年~1879年、1876年に作曲されていたことを知ると、驚くと同時に彼の創作にかける強い意思の力に感動します。

皆さんも、是非あらためて交響詩「モルダウ」の滔々たる流れに身をゆだねてみませんか?

残念ながら、1882年以降、彼の肉体は次第に蝕まれていき、60歳を迎えた1884年5月12日に死亡しました。

スメタナの死去の知らせを聞いたフランツ・リストは、「彼は、ほんとうに天才でした」と書き送ったそうです。

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