演奏会の始まりについて②

こんにちは。木山音楽教室ピアノ講師の石田真亜沙です。

演奏会の始まりについて、第2回目の今日は演奏会がどのように開催されていたのか、どのような内容で行われていたのかをお話していきます。

まず、開催方法についてです。

演奏会を開催すると決めた際、現代では「いつどこで誰が演奏会を開きます」というチラシやSNSなどで宣伝をしますよね。11月に行われた木山音楽教室の発表会も、日程が先に決められて、それに参加をするか、聴きに行くかなどを皆さんが決めていたと思います。

ですが18世紀以前は「予約演奏会」といって、自分の演奏会を開いたら来てくれるかどうかをまずノートで回し、興味を持った人がサインをしてその数が集まってから、いつどこでやるかを決めていました。会員制のようなもので、サインをした場合は、日程が決まってから後日都合悪くなっても演奏会費は払わなくてはいけませんでした。サインをした人は大抵1~2名の同伴が可能でした。

それが次第に、予約の形ではなく日程や場所が先に決められ、事前にお金を支払い、チケットを購入する現代の「チケット制度」へと変化していきました。

続いて、内容についてです。

まず場所ですが、以前はコンサートホールなどではなくお城にある舞踏劇場やオペラ劇場、ホテルのロビー、野外などで演奏会が行われていました。

第1回目でお話ししたように、まだこの当時の演奏会は純粋な音楽鑑賞の場ではなく、社交が優先的でした。

そして演奏会の長さは短くても2時間半と、長いのが特徴でした。それは、オペラの要素がたくさん残っていたからです。(オペラは通常3時間ほどかかるので、その時間とあまり変わりませんでした)

また、オペラの序曲が、開演ベルや、演奏会の終わりの意味を持つ曲など、枠組みを表す音楽として使われてきました。

そして、オペラの中でもアリアという独唱曲が特に人気とされ、そのアリアから誕生したのが協奏曲(コンチェルト)です。

歌手は権力は強いしわがままも言いたい放題だし経費もものすごくかかるし…と、例えば優秀なオーボエ奏者がいるならその人にアリアも交響曲もやらせてしまおう!ということから、協奏曲が始まり、そのまま演奏してもらうのではなく、その楽器の魅力を引き出せるような曲で演奏をしていました。

このようにして18世紀末には、歌の代わりに楽器が主役となりオーケストラはその伴奏で脇役、楽器のソロの名人芸を聴くためのものとして協奏曲が作られ演奏されるようになりました。(作曲家によって協奏曲の構成は異なります)

演奏技術を聴かせるため、聴きなれた旋律を使った変奏曲や、(当時即興能力があることが音楽能力を示していたということから)即興曲などが披露されていました。

また、当時の作曲家は自分を売り出すため、曲作りから指揮、ピアノソロなど、ほとんど休憩がない中で約3時間演奏会を開いていました。自分を売り出し、出演依頼や作曲依頼、ピアノや声楽の弟子をたくさんとることで、生計を立てていたのです。

今回はここまで、演奏会の開催方法や内容についてお話をしました。

次回は演奏会編の最後です。「演奏会の確立」についてお話をします。

石田真亜沙
(センター南教室・ピアノ/絶対音感/ソルフェージュクラス担当)

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